コンサルタント会社を経て、とんかつ豊かを起業した飲食マーケッター小林孝志のブログ

2007年 09月 19日 ( 1 )
第83話 中学生の時の先生が!
昨日は3連休明けという影響もあるのか、オープンからしばらくの間はお客様が少ない日でした。私は現場のシフトではなかったのですが、10月から入る新人アルバイトの学生にとんかつを食べてもらい、とんかつや仕事について説明をしていました。

「カランカラン」という音がして入店されたのは50代に見える男性ひとり。
チラッとお顔を見るとどこかで見たことがあるような・・・
気になって何度かちらちら見ていると、先方も私のほうをちらちら。
あれ~?もしかして~と思いながら、注文をし終わるタイミングを見計らっていると、
突然メニューブックをバタンと閉じて、私を指差しながら
「小林やな?」
私も思わず
「やっぱり青木先生や~」


そうなんです。
箕面1中の時に社会を教えていただいた先生が、私が店をやっていることを聞いて来てくれたのです。
この先生は私の3つ上の兄もお世話になっていました。
私は中学卒業以来26年ぶりと思っていましたが、どうも兄の結婚式で会っているようで・・・
いずれにしても久しぶりですし、わざわざ来ていただいたことに感激しました。


私の出た中学は私がいた学年だけが異常に荒れました。
校内暴力という言葉がはじめて登場し、生徒に殴られた教師が包丁で生徒を刺すといった事件が起こった年代です。
もともと公立ながら、毎年有名進学校に進学する生徒が多く、箕面市内ではもっともおとなしい学校のはずでした。

ところが私が3年生の時に突如乱れ始めました。
タバコの吸殻を授業が始まる前に先生が拾って回り、
給食時には牛乳代わりにウイスキーを飲み、
放課後は毎日のように机を囲ってリングを作り、殴り合いのケンカをして、
昼休みに黒板を外して4階からテニスコートめがけて投げ捨てたり、
トイレは便器が全て粉々に割られ・・・

パトカーも何度か来ました。


たまりかねた武道経験者のある教師が生徒を不意打ちで殴り飛ばして大怪我をさせて、
そこから完全に泥沼化しました。


その中でこの先生は生徒と対立することなく、番長グループを自宅に呼んでは飯を食べさせて、
彼らとしっかり交流を持っていました。


今でもそのときのメンバーとはよく飲みに行くそうです。
しかし話を聞いているといまだに彼らを生徒のように可愛くて仕方がない存在としてみておられるようです。
「○○が今元気がなくてな~。困ってるんや」
「△△は事業も順調なようでな~。いつもニコニコしとるで」

懐かしい名前をフルネームで連呼します。


そこでふと気付きました。
私でさえもかすかな記憶しかない名前。
毎年毎年入れ替わる生徒達。
顔と名前を覚えるだけでも大変です。
仮に一人一人は覚えていたとしても、誰と誰が同学年であったかまでなんで覚えてるんだろう?私はひょうひょうとした喋り口で話すこの先生に教師の、いやリーダーとしての真髄を感じました。

どうやって覚えるのかとかいう技術論ではなく、きっとこの先生は一人一人の生徒と真剣に向き合い、教師として、大人として、大いに愛を持って導いてきたのだと思いました。


私の店のことをこの先生に教えたのは当時の大番長です。
彼はもう5回ほど、当時の仲間を引き連れて店に来てくれています。

私はたまたまこの大番長とバスケット部で一緒だったため、当時対等な立場で接していました。
ところが他の生徒や先生でも大番長にはビビリ上がっていました。



そこに教師としてスッと入り込み、彼らを導き、ゆえにいまだに交流があることに、先生という職業も捨てたものじゃないなと感じました。


その後も色んな話をしました。
中学時代の思い出話や、その当時の先生達の動向、私の兄についての話、
さらには私の病気のこと。

気がつくと1時間半も経っていました。


教頭、校長を経験してすでに教師は辞めた青木先生。
歳を聞くと60歳だそうです。
どうみても肌つやといい目の輝きといい50歳前半です。
今は教職員役職者のために経験を生かした仕事をされているようです。


自分の出身地で初めての店を開業したこと。
そこには計り知れないほどの応援がバックについていることを身にしみて感じました。


青木先生が食事を終わる頃、ちょうど店内も満席になりました。
「おっ、繁盛してるやん。ほな邪魔やから帰るわ」



そうした言葉や仕草にも、深い愛情を感じながら、
私も豊かで働いてくれているメンバーに、こういう存在でありたい・・・
そう思わせてくれた久々の再会でした。
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by tonkatsuyutaka | 2007-09-19 11:54