コンサルタント会社を経て、とんかつ豊かを起業した飲食マーケッター小林孝志のブログ

第116話 本田美奈子さんの命日
今朝、テレビから本田美奈子さんが歌うアメイジング・グレイスが流れてきました。
本田美奈子さんが急性骨髄性白血病で亡くなったのは2年前の11月6日。
私は当時そのニュースを病院のベッドで見ました。


本田美奈子さんは1967年生まれ。
私よりひとつ年下のまったくの同世代です。
わずか38歳での死は、すでに3ヶ月以上入院しているにも関わらず、
一向に退院のめどが立たない私にとっては辛いニュースでした。


生きてきた経緯も世界もまるで違うとはいえ、
ここ数ヶ月の闘病生活の写真映像を見ると私と同じ状況です。
ちょっと前まで元気いっぱいに仕事をして、入院していても必ず良くなることを信じて、
たくさんの夢を語り、看護士を相手に歌ったりしていたそうです。
採血されながら「うちのとんかつはね」と看護師さんに語っていた私と同じです。



その頃の私は、9月に受けた開頭手術の状態が良くなり、落ち着き始めていたものの
10月下旬から原因不明の高熱が続いていました。
1日に何度も41度を超える発熱があり、血液検査で通常0.2くらいが標準値の炎症反応が
15を超えるような異常値が続いていました。
ずっと点滴を受けながら解熱剤によって意識を保つような状態でした。

その原因は後日、以前に受けた手術がもとでできた動脈瘤でしたが、
それが判明するまではとにかく不安でかつ厳しい日々でした。


ちなみに11月6日は1989年の松田優作さんの命日でもあります。
松田優作さんが亡くなった時の年齢は40歳。
本田さんのニュースに続いて流れる、私が憧れつづけた松田優作さんのニュースを聞き、
死を強く意識しました。


その後、動脈瘤の手術を受けたものの術後経過があまり順調ではなく、
傷口を閉じられないまま、ある日突然の大量下血。
緊急輸血を受けながら国立循環器病センターから大阪大学救命救急センターへ
救急車で搬送され、集中治療室に入りました。

今までは遠い遠い想像の世界でしかなかった死が目の前の現実になった瞬間でした。




あれから2年、今ではすっかり元気に生きています。
仕事だ、遊びだ、という以前に「生きている」という感覚を持てるのが、
私が死にかけたことから学んだ感覚です。


家族のこと、スタッフのこと、友人のこと、お客様のこと・・・生きているからこその存在です。
感じること、思うこと、考えること、やってみること・・・生きているからこそできることです。


本田美奈子さんや松田優作さんは死してもなお映像としても作品としても生き続けています。
それを素晴らしいという考え方もあります。
そんな風にして生きてみたいと考える方も多いと思います。


しかし私のように死を目前まで引き寄せた人間にとっては、
死んでからどんな評価を受けようが関係ありません。


生きているときにこそ、悔いを残さず楽しむべき時に楽しみ、苦しむべき時には苦しみ、
おもしろければ笑い、悲しければ泣く。
そうやって「生」そのものを受け容れるべきだと知っています。


決して精神論でも、決して宗教論でもありません。

人間は死んだらおしまいです。
生きていてこそ人間です。


今こうして生きていること自体に感謝を感じたワイドショーの特集コーナーでした。
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by tonkatsuyutaka | 2007-11-06 11:33
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